ひと(9) 浦安三神社神主 花田すおう きゃっとtimes No.4

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例大祭は「参加させていただく」思い

 豊受、清瀧、稲荷の浦安三神社の神主で、豊受神社に常駐している。「神社に参拝してくれる人が、安心してお祈りできる環境を整えるのが神職の役割」と話す。
東京都江戸川区出身。神職を志したのは子どもの頃からだ。車に轢かれかけたり、団地で暮らす部屋の隣室が火災にあったりと、一歩間違えれば命を落としかねない経験を何度かした。しだいに「神様に感謝しなくてはいけない」という思いを抱く。神社に関わる仕事をしたいと、神職資格を取得できる國學院大學に進学した。
三神社に勤め始めたのは2017年。浦安の氏子さんたちは「気さくで飾らない人が多い」。積極的に境内の掃除や行事などに関わってくれ、「良い意味で神社との距離が近い」と思う。
神主となり初めて迎えるはずだった2020年の例大祭はコロナ禍で延期を重ねた。延期が決まった時に氏子さん達が気落ちする様子を見てきた。「浦安の人たちはお祭りへの熱量が高い。同じ熱を持って関われることが嬉しい」と話す。例大祭は「町の人達のためのお祭り」で、「参加させていただく」という思いだ。そして何より「楽しみという思いが一番です」と声を弾ませた。

取材執筆・泉澤多美子

ひと(8) 猫実珈琲店 瀬古恵子 きゃっとtimes No.4

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市外出身の人が祭を知るきっかけになれれば

 豊受神社西組若衆の神酒所のすぐそばでカフェ「猫実珈琲店」を営む。横浜市出身で、2004年春から猫実で暮らす。都内の喫茶店に勤め、08年に「自分の店を持つ」という長年の夢をかなえる。元々猫実という地名にひかれて引っ越し、お店を開くなら猫実と決めていた。ハンドドリップで一杯ずついれるコーヒーに、手作りのチーズケーキやスコーンが人気だ。
 店のオープンは例大祭を間近に控えた5月。4月から開店に向けて準備をしていると、周囲で神酒所の設営、提灯の設置準備などが始まり「なんだか街がすごいことになっている」と驚いた。例大祭があることを初めて知った。どう参加していいのか分からず、寄付だけはして迎えた当日。店の近くを次々と神輿が渡御する。「浦安ってこんな街だったんだ!」。一気に街への興味が湧いた。
 店を開くと、お客さんに話しかけられることが多かった。下町風情の残る街で「好奇心が旺盛な人が多い」と感じた。地元のお年寄りから昔話を聞くのが楽しい。親しくなったお客さんからつながりが広がり、今ではすっかり地域のなじみの店だ。
12年の例大祭からは祭り着をそろえ、豊受神社の宮神輿も担いだ。市外出身のお客さんから例大祭について聞かれることも多い。「市外出身の人が、祭を知るきっかけになれたら嬉しい」。

取材執筆・泉澤多美子

ひと(8) 豊受神社西組若衆会長 熊川尚裕 きゃっとtimes No.4

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「良い祭りだった」と言ってもらえるように

 豊洲市場のマグロ仲卸「山徳」を営む。浦安市猫実で生まれ育ち、父晴正さんは例大祭に熱心に取り組んだ。自身が初めて参加したのは、13年間の中断期間を経て再開された1974年だ。当時7歳で、町会の子ども神輿を担いだ。西組若衆はこの年「西組」として発足する。叔父たちは西組の中心で活動し、中学生で西組に参加するようになった。
 例大祭は時期が来たら行われる、当たり前の存在という。2016年の例大祭から西組若衆の会長を務める。楽しみは、祭に向かっていく準備期間だ。以前は祭を「楽しむ側」だったが、今は参加者に楽しんでもらえるように尽力する立場だ。例大祭当日の神輿の渡御や警備だけでなく、神酒所の設営や運営、神酒所周辺を彩る高張提灯の受け付けに発注、反物や祭り着のあつらえなど、その任務は多岐にわたる。会長として「担ってくれる若衆には感謝している」と話す。
 「参加した人たちに楽しんでもらって『良い祭りだったね』と言ってもらえるように、祭を安全に無事に終わらせたい」と気を引き締める。

取材執筆・泉澤多美子

ひと(7) 豊受神社氏子総代長 山崎常雄 きゃっとtimes No.4

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伝統行事と町の歴史を伝えていきたい

 2016年の例大祭の後から豊受神社の氏子総代長を務める。総代の役割は「宮司を助けて氏神様を守る」こと。総代長になってから常に神社のことを気にかけるようになった。天候が荒れた翌日などは、境内に異常がないか必ず確認に行くという。
 祖父と父は漁師と漁具の製造をしていた。自分も家業を継ぐつもりで育ったが、中学生の時、埋め立て開発のため漁師たちは漁業権を放棄する。高校卒業後、江戸川区の職員になる。
 漁師町時代の例大祭で血気盛んな漁師たちが担ぐ神輿の様子は、その迫力に震えるほど怖かった。その一方で憧れもあったという。暴れ神輿と言われた時代と今は違うが、気合の強さは変わらないと思う。
 市域は拡大し、街並みも変わった。例大祭はかつての町の面影を伝える大事な行事だ。「伝統行事を残さないと町の歴史が伝わらない」と話す。子どもたちに神輿に触れ、祭りの楽しさを知ってもらいたいと願う。「今回初めて祭りに参加する人たちが次の4年後を待ち遠しく思ってもらえたら、大成功」とほほ笑んだ。

取材執筆・泉澤多美子

ひと(6) 豊受神社西組若衆役員 小山 歩 きゃっとtimes No.4

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祭が終わることを思うと今から寂しい

 浦安を拠点とするゴスペルグループ「エノーマスヴォイス」を率い、日本の代表的なゴスペル・コーラスグループ「The Voices of Japan(VOJA)」のメンバーでもある。浦安市民まつりなど市内のイベントで美しい歌声を披露することも多い。西組若衆とのつながりも、その歌声がきっかけだった。
 市内で生まれ育ち、例大祭は身近な存在だった。だが女の子らしい格好が好きで「スカート以外は履いたことがない」子どもだった。祭り着の股引が履くのが嫌で、子どもの頃は神輿を担いだことはなかった。好きなのは歌うこと。祖母と母が営んでいた居酒屋「るんるん」のカラオケで歌うのが楽しかった。祖母に連れられ、2000年の西組若衆の神酒所開きで行われたカラオケ大会で歌ったのが、西組若衆との「出会い」だ。それまで町会で例大祭に参加はしていたが、初めて豊受神社の宮神輿を担いだ。その迫力と威勢の良さに「こんなに楽しいなんて!」と一気に引き込まれた。
 04年の例大祭から西組若衆役員になる。姉の暁子さんとともに、初の女性役員だ。ゴスペルも神輿の渡御も「皆で息を合わせることが大事」とその共通点を話す。自身の性格を「人見知りで引っ込み思案」というが、歌にも祭にも、胸に秘めた思いは熱い。
 間近に迎える8年ぶりの例大祭。わくわくする一方で、「始まるとあっという間。終わった後の寂しさを今から感じちゃう」。

取材執筆・泉澤多美子

ひと(5) 浦安花輪 福田杏律奈 きゃっとtimes No.3

楽しい場所だと知ってほしい

 1972年に祖父洋二さん(故人)が浦安市猫実2丁目に創業した葬儀社「浦安花輪」に勤める。三社例大祭は参加したのは「物心もない」頃からだ。洋二さんは葛西囃子「丸音會」に所属し、祭は家族総出。訳も分からず肩車をされ、見様見まねで扇子を振りながら「マイダ、マイダ」と叫んでいた。2012年の例大祭から豊受神社西組若衆の役員を務める。
 元町地区の「ご近所はみな親戚」のような濃密な人間関係の中で育った。大学の友人たちを浦安に連れてくると、必ず地元の知り合いに出会い、初対面の友人に対しても気さくに話しかけてくることに驚かれた。自分の育ってきた環境が当たり前ではないことを知った。
 2023年7月に、岩手県出身の拓斗さん(29)と結婚した。3年前の年末年始は拓斗さんの都内の自宅で過ごした。例年は神社の囃子の音や参拝者への振る舞いで賑やかな中、皆と一緒に年を越す。初めて浦安以外で過ごす正月だった。拓斗さんと一緒に近くの神社に初詣はしたが、「浦安のみんな」と一緒にいないことに寂しさがこみ上げてきて、自分でも思いもかけず泣いていた。「浦安で暮らさないと、結婚してもうまくいかない」と打ち明け、浦安で新婚生活を過ごす。
 披露宴は今年7月を予定している。例大祭が終わった後の勢いでやりたいという思いからだ。祭は4年分のパワーチャージの場所だ。「振り返ってみれば祭り基準の人生になってる」と笑う。
 西組若衆は「いると安心する場所」。一方で、男性中心の若衆組織の中で、自分が存在する意味について考え始めている。「近づきにくいと感じる人もいるかもしれないけど、もっとオープンで、女性も若い人も入りやすい組織にしたい」。力強く語った。
 1972年に祖父洋二さん(故人)が浦安市猫実2丁目に創業した葬儀社「浦安花輪」に勤める。三社例大祭は参加したのは「物心もない」頃からだ。洋二さんは葛西囃子「丸音會」に所属し、祭は家族総出。訳も分からず肩車をされ、見様見まねで扇子を振りながら「マイダ、マイダ」と叫んでいた。2012年の例大祭から豊受神社西組若衆の役員を務める。
 元町地区の「ご近所はみな親戚」のような濃密な人間関係の中で育った。大学の友人たちを浦安に連れてくると、必ず地元の知り合いに出会い、初対面の友人に対しても気さくに話しかけてくることに驚かれた。自分の育ってきた環境が当たり前ではないことを知った。
 2023年7月に、岩手県出身の拓斗さん(29)と結婚した。3年前の年末年始は拓斗さんの都内の自宅で過ごした。例年は神社の囃子の音や参拝者への振る舞いで賑やかな中、皆と一緒に年を越す。初めて浦安以外で過ごす正月だった。拓斗さんと一緒に近くの神社に初詣はしたが、「浦安のみんな」と一緒にいないことに寂しさがこみ上げてきて、自分でも思いもかけず泣いていた。「浦安で暮らさないと、結婚してもうまくいかない」と打ち明け、浦安で新婚生活を過ごす。
 披露宴は今年7月を予定している。例大祭が終わった後の勢いでやりたいという思いからだ。祭は4年分のパワーチャージの場所だ。「振り返ってみれば祭り基準の人生になってる」と笑う。
 西組若衆は「いると安心する場所」。一方で、男性中心の若衆組織の中で、自分が存在する意味について考え始めている。「近づきにくいと感じる人もいるかもしれないけど、もっとオープンで、女性も若い人も入りやすい組織にしたい」。力強く語った。

取材執筆・泉澤多美子

ひと(4) 中台製作所社長 中䑓 洋 きゃっとtimes No.3

浦安の祭はいつもわくわくする

 江戸時代から神輿作りが盛んで、「神輿のまち」と呼ばれる市川市の行徳地区。同地区に唯一残る製作所が「中台製作所」(市川市本塩)だ。浦安では豊受神社と清瀧神社のそれぞれ2基の宮神輿の修繕や整備をしている。
 三社例大祭の期間中は、神輿に修繕が必要になった場合などに備え、社員総出で手分けして宮神輿の渡御に付き添う。
「全国的にもあれだけ盛り上がる祭はなかなかない」と話す。祭を楽しむためには全力で、時には「馬鹿にもなれる」浦安の人たちを、器がでかいと感じている。
 愛知県の仏具製作所で修業後、1994年に中台製作所に入社する。当初継ぐ予定はなかったたが、99年に、後継者だった兄・顕一さん(当時36)が亡くなる。父・実さん(85)の嘆きは深く「商売をやめたい」と漏らすほどだった。「俺がなんとかするよ」。自ら申し出て、2013年に家業を継ぐ。
 思いは「行徳神輿の伝統をつなぐ」こと。豊受、清瀧の二社の宮神輿を制作した同地区の浅子神輿店と後藤神輿店は後継者の不在などで廃業した。行徳神輿のブランドを守ることで、両神輿店が残してきた歴史も風化させないことになる。18年に製作所の敷地に神輿の内部や職人の道具などを展示する「行徳神輿ミュージアム」を開館したが、あえて中台の名は付けなかった。
 祭や神輿への思いを語る口調は熱い。「やるか、やらないかの議論をしている奴はアウト。どうやるか、しかない」。やるならどこよりも盛り上がろうという浦安の人たちの気合が好きだ。行徳と気質が似ているとも思う。「これは俺の持論なんだけど、浦安と行徳は合併した方が良いよ」と笑った。

取材執筆・泉澤多美子

ひと(3) 歯科医師 飯田哲也 きゃっとtimes No.2

囃子がなければ祭りじゃない

 祭りを盛り上げるのに欠かせない、お囃子の音。葛西囃子「丸音會」で笛を担当し、副会長を務める。同会は、例大祭で豊受神社・西組若衆が渡御を受け持つ宮神輿に先導しながら演奏する。「祭りが近づくと街の空気がざわついてくる。あの高揚感がたまらないよね」。

 浦安市猫実5丁目にある「飯田歯科医院」の2代目。初めて例大祭に参加したのは、13年間の中断を経て再開された1974年。8歳だった。都内の中学校に進学後はしばらく祭りから遠ざかっていたが、子供ができたこともあり、2000年の例大祭から町会「庚申通り子供会」に参加する。子供のためといいながら、「結局自分が楽しくなっちゃって(笑)」。神酒所に集う多種多様な人と出会い、酒を酌み交わす。わいわいがやがやと騒がしく日々が過ぎていき、祭りが終わると、いつも「おやじの知り合い」がやたらと増える。神輿を担ぐ3日間も楽しいが、祭りの醍醐味は仲間たちと毎日を過ごす準備期間だ。

 08年の例大祭から丸音會に参加している。笛の音が好きで、「年を取っても祭りに関わるなら、囃子」との思いもあった。会長の相馬利夫さんが師匠だ。囃子は大太鼓、締め太鼓、笛、鉦を5人で演奏する。その調和が重要という。

 祭り当日は演奏しながら神輿と一緒に街を練り歩くため、体力も必要だ。歯科医院の昼休み時間は旧江戸川沿いをランニングし、体を鍛えている。

 21年から浦安市歯科医師会の会長に就任し、忙しい日々を送る。笛を吹かずにいると、口の周りの筋肉「口輪筋」が衰えるという。なかなか会の合同練習には参加できないが、「自主練を頑張らなくちゃいけないな」と気合を込めて腕を組んだ。

取材執筆 : 泉澤多美子

ひと(2) 司会・リポーター 後藤はるか きゃっとtimes No.2

元町の人は熱くて、いつも直球

 浦安市内で開催されるイベントの司会や、市の情報番組「こちら浦安情報局」のリポーターなどで活躍している。三社例大祭で初めて神輿を担いだのは2008年。宮神輿の大きさ、神社境内に集まった人々の熱気に驚いた。疲れているのに、興奮した心身が心地よくて眠れない感覚の3日間だった。「血が騒ぐってこういうことか!と。8年ぶりにあの感覚が味わえる」と待ちわびる。

 3歳から劇団に所属し、舞台やテレビドラマで子役として活動した。生活の拠点は新浦安で、旧漁師町の元町地区との「出会い」は、知人の勧めで19歳の時に参加した「ミス浦安コンテスト」(主催・浦安商工会議所青年部)だ。特別賞を受賞し、入賞者4人でご当地アイドル「Miss-U」を結成した。イベント出演など地元での活動は、同級生らに見られる恥ずかしさもあった。その意識を変えたのが、浦安を盛り上げようという青年部メンバーの「本気」だ。その思いに応えたいと必死で取り組んだ。グループの活動期間は約1年間だったが、その後もイベントのアシスタントや司会に呼ばれるようになった。

 それ以前は元町に行くこともほとんどなかった。古い街並みや、初めて聞く浦安弁が新鮮だった。ストレートな物言いで、飾りっ気のない人々の様子に「最初はちょっと怖かった」と笑う。だが、いつしかそれが居心地の良さに変わっていた。

 浦安での仕事を始めて20年近くになるが、それでも日々「新しい魅力を発見している」という。この浦安独特の良さを多くの人に伝えたいと思う。ただ、三社例大祭の3日間は別。「リポーターの仕事はしません」。祭り好きの「浦安っ子」の一人として、神輿を担ぐことに専念するつもりだ。

取材執筆 : 泉澤多美子

ひと(1) 宮司 黒川彰吾 きゃっとtimes No.1

受け継いだもの 守っていきたい

 2020 年 4 月に、清瀧・豊受・稲荷の三神 社の宮司に就任した。先代の宮司、家原國彦 さん ( 享年 72 歳 ) の急逝を受けてのこ とだった。本来なら、約2カ月後に浦 安三社例大祭が開催される予定だっ た。当時は新型コロナの感染が拡大し、 直後に千葉県などに緊急事態宣言が 発令される。延期を重ね、宮司として 初めて迎える例大祭だ。「先代の宮司が築いて きたものをしっかり守っていきたい」と思いを 語る。
 黒川さんは生後まもなくから、埋め立て造 成されたばかりの舞浜地区で育った。両親は 栃木県出身。実家は地元の神社で代々神職を務めていたが、父は都内でサラリーマンをし ていた。将来について考えていると、神職が 頭に浮かんだ。会社員生活は向いていないと の思いと、実家の関係で神社は身近な存在だっ た。神職資格が取得できる国学院大学への進 学を見据え、国学院高校に進学した。
 高校2年のとき、将来役に立つと思い、雅 楽を学ぶことにした。ちょうど当時、01 年に 宮司に就任したばかりの家原宮司が神社で雅 楽教室を開いていた。黒川さんは月 2 回の教 室で龍笛を学びながら、ご祈禱の手伝いや境 内の掃除などもするようになる。
 大学卒業後は三神社に勤めるという選択肢 もあった。一方で「大きな神社で働いてみたい」 との思いもあり、07 年4月、明治神宮に就職 する。大きな場所で働くやりがいもあったが、 明治神宮は氏子がいない「崇敬神社」で、地域とのつながりも薄い。そんな環境が自分に は合わなかったのか、体調を崩して3カ月で 辞職する。自宅で休んでいたころ、家原宮司 から「元気にやっているのか」と電話がかかっ てきた。再び手伝いをするようになり、同年7 月から三神社に勤め始めた。
 家原宮司を「行動力があって、出かけたら 帰ってこないような人」だったと振り返る。猪 突猛進型で、氏子の一人は「三神社を、ある べき姿に変えた人」と表現する。初詣や大祓 式など地域の人々が参加する年中行事に熱心 に取り組み、社務所でのお守りの頒布などに も力を入れ、神社にもっと人が集まるように した。
 黒川さんは自身の性格を「あまり冒険はし ない、慎重なタイプ」と自己分析する。いつ か自分が宮司になるとは考えていなかったが、 家原宮司が 20 年1月 23 日、膵臓がんで逝去 する。発覚から1年足らずの訃報だった。後 任は、氏子の総意で黒川さんに任される。生前、 病床の家原宮司から「自分に万が一のことが あっても、お祭りは絶対にやってくれ」と託さ れていた。それが、ようやく実現する。
 例大祭での宮司の最大の任務は、 前日夜に開かれる宵宮での御霊入れ だ。神社に集まった神輿に、神様の 御霊を移す。その後は祭りが無事に 終わることを願い、渡御を見守る。「祭 は浦安の人たちにとってとても大事なもの。氏子さんの神社、氏子さんの祭です から」と話す。 自身が目指す「宮司像」はまだ模索中という。
「今は色んな方たちから話を聞きながら勉強中 です」とはにかんだ。
取材執筆 : 泉澤多美子

きゃっとtimes創刊号 2024,1,1発行