ひと(1) 宮司 黒川彰吾 きゃっとtimes No.1

受け継いだもの 守っていきたい

 2020 年 4 月に、清瀧・豊受・稲荷の三神 社の宮司に就任した。先代の宮司、家原國彦 さん ( 享年 72 歳 ) の急逝を受けてのこ とだった。本来なら、約2カ月後に浦 安三社例大祭が開催される予定だっ た。当時は新型コロナの感染が拡大し、 直後に千葉県などに緊急事態宣言が 発令される。延期を重ね、宮司として 初めて迎える例大祭だ。「先代の宮司が築いて きたものをしっかり守っていきたい」と思いを 語る。
 黒川さんは生後まもなくから、埋め立て造 成されたばかりの舞浜地区で育った。両親は 栃木県出身。実家は地元の神社で代々神職を務めていたが、父は都内でサラリーマンをし ていた。将来について考えていると、神職が 頭に浮かんだ。会社員生活は向いていないと の思いと、実家の関係で神社は身近な存在だっ た。神職資格が取得できる国学院大学への進 学を見据え、国学院高校に進学した。
 高校2年のとき、将来役に立つと思い、雅 楽を学ぶことにした。ちょうど当時、01 年に 宮司に就任したばかりの家原宮司が神社で雅 楽教室を開いていた。黒川さんは月 2 回の教 室で龍笛を学びながら、ご祈禱の手伝いや境 内の掃除などもするようになる。
 大学卒業後は三神社に勤めるという選択肢 もあった。一方で「大きな神社で働いてみたい」 との思いもあり、07 年4月、明治神宮に就職 する。大きな場所で働くやりがいもあったが、 明治神宮は氏子がいない「崇敬神社」で、地域とのつながりも薄い。そんな環境が自分に は合わなかったのか、体調を崩して3カ月で 辞職する。自宅で休んでいたころ、家原宮司 から「元気にやっているのか」と電話がかかっ てきた。再び手伝いをするようになり、同年7 月から三神社に勤め始めた。
 家原宮司を「行動力があって、出かけたら 帰ってこないような人」だったと振り返る。猪 突猛進型で、氏子の一人は「三神社を、ある べき姿に変えた人」と表現する。初詣や大祓 式など地域の人々が参加する年中行事に熱心 に取り組み、社務所でのお守りの頒布などに も力を入れ、神社にもっと人が集まるように した。
 黒川さんは自身の性格を「あまり冒険はし ない、慎重なタイプ」と自己分析する。いつ か自分が宮司になるとは考えていなかったが、 家原宮司が 20 年1月 23 日、膵臓がんで逝去 する。発覚から1年足らずの訃報だった。後 任は、氏子の総意で黒川さんに任される。生前、 病床の家原宮司から「自分に万が一のことが あっても、お祭りは絶対にやってくれ」と託さ れていた。それが、ようやく実現する。
 例大祭での宮司の最大の任務は、 前日夜に開かれる宵宮での御霊入れ だ。神社に集まった神輿に、神様の 御霊を移す。その後は祭りが無事に 終わることを願い、渡御を見守る。「祭 は浦安の人たちにとってとても大事なもの。氏子さんの神社、氏子さんの祭です から」と話す。 自身が目指す「宮司像」はまだ模索中という。
「今は色んな方たちから話を聞きながら勉強中 です」とはにかんだ。
取材執筆 : 泉澤多美子

きゃっとtimes創刊号 2024,1,1発行